マホービンで有名な象印の代表取締役を務めている市川典男さん!
世界的大企業・象印の創業者の孫として生まれ、2001年から代表取締役に就任しています。
現在でも多種多様な商品を生み出し続けている企業の代表を務めている市川典男さんとは一体どんな人なのでしょう?
どのような学歴・経歴を経て代表に就任したのか気になりますよね!
なので今回は市川典男さんの出身学校や経歴をまとめていきます!
この記事でわかること!
- 市川典男の出身高校と中学
- 市川典男の出身大学
- 市川典男の経歴
市川典男(象印社長)の出身高校と中学
市川典男さんの出身高校・中学は甲南高等学校・中学校でした!
甲南高等学校・中学校は兵庫県芦屋市にある学校法人甲南学園に属している学校です。
いわゆる私立の学校です。
2023年の偏差値も70という超名門の高校ですね!
甲南学園の教育理念を見てみるとこのように載っていました。
甲南学園は、明治・大正時代の教育に見られた知識偏重の画一教育に対し、「ひと創り」という本来の教育に立ち返る目的のもと創立されました。社会で活躍できる人物の育成を目指し、勉学だけでなく人格形成や身体づくりも重視し、徳・体・知のバランスがとれた学びを実践することで、一人ひとりの有能な個性を伸ばしてきました。創立から100年経った今でも、この教育理念はしっかりといきています。
甲南学園は知識をつけるだけではなく、社会で活躍できる人物の育成を目指す学校です。
市川典男さんもすでに中学時代には将来的に象印の重役になることはほとんど確定的だったと思われます。
大きな会社でたくさんの社員を引っ張っていくとなると、知識のみならず人として素晴らしい人間でなければなりません。
なので、市川典男さんの父・市川重幸さんが将来を考えて甲南学園で人間形成をしようと考えた可能性が高そうです!
さらに甲南学園には数々の著名人の卒業生がおり、ミズノ株式会社の相談役会長・水野正人さんなども卒業しています。
実業家たちは横のつながりも広いので、市川重幸さんも他の実業家や経営者たちに相談するうちに甲南学園を推薦された可能性もありそうですね!
市川典男の学校生活は?
実際の学校生活についても市川さんは語っていたことがあります!
市川典男さんは中学生の頃から硬式テニス部に入部しました。
全国を目指すようなレベルの高い部活だった硬式テニス部に所属していた市川典男さんでしたが、厳しい練習についていくことができずに、高校の頃から選手たちのサポート役をやるようになっていたようです。
私は甲南学園の中学入学と同時に硬式庭球部に入部したのですが、常に日本一を目指すレベルの高さに付いていくことができず、高校に進学した頃から代表選手のサポート役を買って出るようになっていました。
当時から市川典男さんはマネジメント能力が高かったようで、
「大学進学後も主務として残ってほしい」
と先輩からオファーがあったほどです。
当時から実業家として多くの人を動かすことが得意だった可能性がありますね!
父親や祖父の経営の仕方を目で見て学んで部活のマネジメントに生かしていたかも!
市川典男(象印社長)の大学
市川典男さんの出身大学は甲南大学経済学部でした!
中学時代からエスカレーター式に進学したと思われます。
甲南高校まで卒業した時点で他の大学に進学するという選択もできたと思われますが、なぜ甲南大学を選択したのでしょうか?
甲南大学を選んだ理由として考えられるのが甲南大学の理念です!
甲南大学の教育理念を見てみると、このように言われています。
甲南大学の建学の理念は「人物教育率先」です。甲南の「人物教育」とは、学生一人ひとりの天賦の才を大切に育て、無限に伸ばし、個性を力にすること。それを実現するため、「KONAN INFINITY」を掲げ、様々な特長をもった学びや環境を用意しています。
中学・高校と同じように人物教育を優先し、個性をとにかく伸ばすことを理念としています。
市川典男さんが現在社長を務める象印は魔法瓶で一躍有名になり世界的企業になりました。
しかし、市川典男さんが社長就任後は魔法瓶だけではなく、最高級炊飯ジャー「炎舞炊き」だったり、生活家電・リビング製品など今までに象印になかった商品を生み出しています。
さらには高齢者のための「みまもりほっとライン」など様々な方向に事業を展開しています。
大きくなった会社をさらに大きくするために新たな目線での事業開拓をするなど、まさに個性を存分に生かした経営をしています。
個性を潰されずに自らのやりたいことをやれるのは甲南大学の理念があってこそだと思います!
だから市川典男さんは個性を伸ばしてくれて自らのやりたいことに一直線に進ませてくれる甲南大学を選んだ可能性があり得そうです!
また、市川典男さんは大学進学する前からテニス部の先輩たちに
「大学進学後も主務として残ってほしい」
と言われていたのも、市川典男さんが甲南大学を選んだ理由の1つかもしれません!
社会に出てからも必要となるスケジュール管理や交渉・経理などを学生時代から長く経験して実践を積めたのは今の市川典男さんにとって素晴らしい経験だったようですね!
自分の素性を明かしていなかった可能性が高いので、当時から市川典男さんは人格者であった可能性も高そうですね!
市川典男(象印社長)の経歴
市川典男さんは1958年生まれです。2023年で65歳になりますね!
学歴は上記の通り中学から甲南です。
甲南中学校に進学すると硬式テニスを始めます。
甲南中学校の硬式テニス部は常に日本一を目指すような強豪で、最初はなんとか練習について行っていましたが、万年補欠という状況になってしまい、中学3年生の頃にはマネージャーになったのでした。
甲南高校進学後も硬式テニス部のマネージャーとして選手たちを支える日々を送ります。
全国優勝は果たせなかったものの、2年連続で準優勝という結果を残しました。
甲南大学に進学後もテニス部のマネージャーとして活動します。
そして大学3年生の時に日本一に輝くことができたのでした!
この時のマネージャーとしての経験が今の経営に役立っているとも語っています。
学生時代というと、どうしても「自分が一番目立ちたい」や「補欠なら部活をやめる」などと考えてしまいがちです。
しかし、市川典男さんは中学3年生の時には選手を諦めてマネージャーになる道を選んでいます。
マネージャーとして選手目線ではなく一歩引いたサポート側の目線でチームを支えることはまさに会社の経営と似ていると思います。
多くいる選手たちをうまくマネジメントして、選手のパフォーマンスを引き出す、部活への利益をもたらすように動くという経験を学生時代にしたことが経営に生かされているのでしょう。
選手として活躍できないから辞めるではなくて、自分がこの部にどうしたら貢献できるか考えられる頭の良さが当時からあったみたいですね!
大学卒業後は象印に入社します。
最初に市川典男さんが配属されたのはシステム開発部でした。
システム開発部で真因を見抜くことの大事さを学んだと市川典男さんは語っています。
1997年に商品第一開発部長に就任。
そして2001年に代表取締役社長に就任します!
市川典男さんは社長就任に一番自らが驚いたとも語っています。
叔父が70歳を機に会長に退いたことで社長となった市川典男さんですが、本当に当時は自らが社長に就任するとは思ってなかったようですね。
42歳で社長に就任できるということは開発部で相当人望があったのだと思われます!
いくら創業者の孫といっても人望がなければ社員たちはついてきてくれません。
市川典男さんは心に残る本に「もしドラ」や「ビジネス教養としての「論語」入門」という本を挙げていました。
どちらの本も人の上に立つ人材にとって大事な本です。
市川典男さんもこのような本を読んで、人の上手な動かし方や理論立てて部下たちへの指導する方法を学んだのだと思われます。
感情のみならず、しっかりと理論立てて人材を成長させてくれる人物だからこそ人望も厚いのだと思います。
社長就任後はグローバル企業に見たグループ経営をするように。
現在も象印の社長として会社を引っ張っています。
まとめ
今回は
市川典男(象印社長)の出身高校や大学等の学歴!経歴まとめ!
と題して、市川典男さんの出身学校や経歴をまとめてきました。
市川典男さんは中学時代から大学生になるまで甲南学園の学校を進学していました。
人を育てる教育をしている甲南学園だったからこそ、今の市川典男さんがあるのかもしれませんね!
市川典男さんが社長就任後、象印は様々な事業を始めているので、今後象印がどんな事業を展開していくのか楽しみにしたいですね!
コメント